文:きくちきょうこ
太平洋戦争の頃、福地先生は幼稚園の先生でした。戦争が激しくなってきたので先生達と幼稚園の子供達は地方に学童疎開をしました。子供達はお父さんやお母さんと離れて暮らすのです。
子供たちは5才から7,8才でしたから東京にいるお父さんやお母さんが恋しくてたまりません。そこで、先生方は自分達のグループの子供をたとえば、福地さんちの子というように呼び合うことにしました。そして先生方が用事でどこかに行った時、その家の子供だけにおみあげをかってきます。そうやって先生方は少しでも家庭的な雰囲気を作ろうと努めたそうです。
こうちゃんは福地先生のグループの子供でした。日曜日にはどきどき東京からお父さんやお母さんが子供たちに会いにきます。その日、お母さんがこうちゃんに会って東京に帰ろうとした時、こうちゃんはめずらしくだだをこねました。「また来るからね」と言っても、「お母さんと一緒に帰る」と何回も言ってきかなかったそうです。お母さんはとうとう困りはててこうちゃんのほほを叩きました。
その時がこうちゃんとお母さんとの最後の時でした。お母さんが東京に帰ったすぐ後、東京は大空襲で、何十万人の人が亡くなりました。戦争が終わってこうちゃんは遠い親戚の人の元に引き取られていきました。
それから随分たって、福地先生はこうちゃんに会ったそうです。こうちゃんはもうりっぱな大人になっていて婚約者もいるとのことでした。こうちゃんはこう先生に話たそうです。「戦争でお父さんもお母さんも、周りの人が皆亡くなってしまって自分が小さい時の事を語ってくれる人がいない。自分の人生の中でその時間が欠落してしまった。」
子供たちにとって、身近な人、特に父親や母親から自分が小さかったころの思い出を―「よくおねしょして困ったものよ。最初にお泊りに行った時なんか心配して寝られなかったんだから」とか、「おなかが弱くてね。ぶどうも1日5粒って決めていたんだけど、もう1つもう1つってねだるの。」−聞くのは楽しいものです。それ以上に一緒に時を同じくした人から話を聞くことにより自分の1つ1つの時をつないでいくことができます。
こうちゃんにはこうちゃんの小さい時を語ってくれる人がみんな死んでしまいました。だから、こうちゃんの人生には空っぽの時間があります。私はこの話を福地先生から聞いた時、また別の戦争の被害を知りました。